花咲か爺さん:優しい爺さんに犬が恩返しをして欲深い爺さんに罰が当たる物語

花咲か爺さんはなさかじいさんとは?

花咲か爺さんとは、
心優しい老夫婦と欲深い隣人夫婦が、不思議な力を持つ犬をきっかけに、前者は幸福に、後者は不幸になるという内容の日本の民話です。この物語は、「動物報恩」と「隣の爺型」というジャンルに分類される勧善懲悪のお話です。

『花咲か爺さん』のあらすじ

物語は、心優しい老夫婦が弱っていた子犬を助け、シロと名付けて可愛がって育てるところから始まります。

ある日、シロは畑の土を掘りながら「ここ掘れワンワン」と鳴き、お爺さんがそこを掘ると、大判小判がザクザクと出てきました。

その様子を見ていた隣の欲張りな老夫婦は、シロを無理やり借りて財宝を探させようとしますが、ガラクタしか出てきません。

激怒した老夫婦はシロを虐待し、殺してしまいます。シロの死を悲しんだ優しい老夫婦は、お墓を作り、その隣に木を植えます。

その木はすぐに大木となり、夢の中でシロが「その木で臼を作って欲しい」と告げます。

老夫婦が臼を作り餅をつくと、臼から金銀財宝があふれ出てきました。

欲張りな老夫婦はまたもや臼を借り受けますが、出てくるのは泥や石ころばかり。

怒った老夫婦は臼を燃やしてしまいます。

優しい老夫婦は、シロが夢で「桜の枯れ木に灰を撒いてほしい」と頼まれた通りにすると、枯れ木に満開の桜が咲き乱れます。

花を咲かせたお爺さんは、通りかかったお殿様に褒美をもらいます。

そのあと欲張りな老夫婦が真似をしますが、花は咲かず、お殿様の目に灰が入り、罰を受けます。

『花咲か爺さん』の良い点、悪い点

良い点 悪い点
  • 勧善懲悪の物語:『花咲か爺さん』は、親切な老夫婦が幸せになり、欲張りな老夫婦が罰を受けるという、勧善懲悪の物語です。この構造は、道徳的な教訓を伝えやすく、読者や視聴者に分かりやすい点が良い点です。
  • 教訓性:この物語は、純粋な気持ちや親切心を持って行動することの大切さを教えてくれます。また、欲や妬みといった人間の悪い側面を描くことで、それらがもたらす結果を明確に示し、反面教師として学べるようにしています。
  • 動物報恩の要素:犬のシロが、困っている老夫婦を助け、宝の場所を教えたり、臼を作るように助言したりする動物報恩の要素が含まれています。これにより、動物への優しさや感謝の気持ちを育むことができるでしょう。
  • 残酷な描写:物語には、犬が虐待されて殺されてしまうという、残酷な描写が含まれています。特に子供向けの物語としては、トラウマになる可能性があるという懸念もあります。
  • 因果応報が強調されすぎている:欲張りな老夫婦が、あまりにもひどい罰を受けすぎるという意見もあるかもしれません。例えば、牢屋に入れられる、殿様の目に灰が入るなど。この点は、物語の教訓を強調するための表現とも考えられますが、読者によっては不快感を与える可能性があります。

『花咲か爺さん』についてよくある質問と回答

『花咲か爺さん』には別のバリエーションがある?

この物語には様々なバリエーションがあり、シロの入手経緯や、臼の代わりに木臼が登場するなどの違いがあります。また、犬の墓に生えた木で作る臼の代わりに、犬の死体を焼いた灰で花が咲くという展開もあります。

『花咲か爺さん』から得られる教訓とは?

『花咲か爺さん』から得られる教訓は、主に心の持ち方や行動がもたらす結果に関するものです。この物語では、親切で正直な老夫婦と、欲深く意地悪な老夫婦の対比を通して、善悪の報いが明確に描かれています。

物語の主な教訓は以下の通りです。

純粋な心と善意の大切さ

親切な老夫婦は、弱っていた犬を助け、我が子のように大切に育てました。彼らの行動は、見返りを求めるものではなく、純粋な優しさからくるものでした。その結果、犬の不思議な力によって、宝物を得たり、枯れ木に花を咲かせることができました。

欲深い行動の危険性

一方、欲深い老夫婦は、お金のことしか頭になく、他人の幸運を妬み、強引に犬を借りて虐待し、最終的に殺してしまいます。彼らは、宝を得るために手段を選ばず、自分勝手な行動を繰り返した結果、不幸な結末を迎えます。

善行は報われ、悪行は罰せられる

物語全体を通して、善い行いは良い結果を招き、悪い行いは悪い結果を招くという因果応報の法則が描かれています。親切な老夫婦は、犬への優しさ、また臼や灰を大切にする行動が報われ、最終的に殿様から褒美を受けます。対照的に、意地悪な老夫婦は、犬を虐待し、臼を壊したことで、最終的に殿様の怒りを買い、罰を受けることになります。

心の持ち方が重要

同じ行動でも、その動機によって結果が大きく変わることが示されています。欲深い老夫婦は、親切な老夫婦の行動を真似しますが、彼らの行動は、単に利益を得るためのものであり、心がこもっていません。そのため、良い結果を得ることができません。

感謝の気持ちを持つこと

親切な老夫婦は、犬のポチや、その後ポチがもたらした臼や灰を大切にしていました。これは、与えられたものに対する感謝の気持ちが大切であることを示唆しています。対照的に、欲深い老夫婦は、手に入れたものを感謝する代わりに、更なる利益を求めて行動し、最終的に全てを失っています。

これらの教訓から、この物語は、目先の利益にとらわれず、真心を持って行動することの大切さを教えていると言えます。 また、他者への思いやりや感謝の気持ちを持つことが、幸せにつながることを示唆しています。

『花咲か爺さん』と『こぶとり爺さん』を比較

『花咲か爺さん』と『こぶとり爺さん』は、日本の代表的な昔話ですが、その構造や教訓には興味深い違いがあります。以下の表で両者を比較してみましょう。

特徴 花咲か爺さん こぶとり爺さん
主人公 善良な老夫婦 こぶのある老人
対立者 意地悪な隣人 もう一人のこぶのある老人
超自然的要素 犬が宝を見つける 鬼が登場する
主な出来事 灰をまいて花が咲く 鬼の前で踊りを披露
結末 善人が報われ、悪人が罰せられる 善人のこぶが取れ、悪人は二つのこぶを持つ
教訓の明確さ 明確な善悪の対比 曖昧で複雑

『花咲か爺さん』は典型的な勧善懲悪の物語で、善良な行いが報われ、意地悪な行いが罰せられるという明確な教訓があります。

一方、『こぶとり爺さん』は一見似たような構造を持ちますが、その教訓は複雑です。善悪の対比はありますが、こぶが取れるかどうかは実際には踊りの上手さによるものであり、必ずしも性格の良し悪しとは直接関係がありません。

『こぶとり爺さん』の元となる説話は、教訓よりも人間の生き生きとした姿を描くことに重点を置いており、笑い話としての要素が強いのが特徴です。

このように、両話は似た構造を持ちながらも、その教訓や目的において大きく異なっています。『花咲か爺さん』が明確な教訓を持つのに対し、『こぶとり爺さん』はより人間的で複雑な物語となっているのです。

『花咲か爺さん』から得た教訓を転職に活かす方法

『花咲か爺さん』の教訓を転職に活かすには、以下の点を考慮すると良いでしょう。

誠実さと勤勉さ

物語の心優しいお爺さんは、正直で勤勉であったため、幸運を掴みました。転職活動においても、誠実な態度で臨み、自己PRや職務経歴を正直に伝えることが大切です。また、入社後も勤勉に業務に取り組む姿勢が評価されるでしょう。

欲深さへの戒め

隣の意地悪な老夫婦は、欲深さゆえに不幸を招きました。転職活動において、目先の利益や待遇ばかりを追い求めると、かえって失敗する可能性があります。企業の理念や文化を理解し、本当に自分が成長できる環境を選ぶことが重要です。

他人の成功を妬まない

意地悪な老夫婦は、隣のお爺さんの成功を妬み、模倣しようとしましたが、失敗しました。転職活動においても、他人の成功を妬むのではなく、自分の強みや個性を活かすことを意識しましょう。また、過去の経験から学び、改善点を転職活動に活かすことが大切です。

思いやりの心

心優しいお爺さんは、弱っていた犬を助け、大切に育てました。転職活動においても、企業の採用担当者や面接官への思いやりを忘れずに、丁寧なコミュニケーションを心がけることが大切です。

焦らないこと

物語の中で、お爺さんはすぐに幸運を手にしたわけではありません。犬を育て、臼を作り、最後に灰をまいて花を咲かせました。転職活動も同じで、焦らずに、じっくりと自分に合った企業を見つけることが重要です。

これらの教訓を活かし、転職活動を成功させてください。

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